真言宗智山派大本山金剛山金乗院平間寺 川崎大師

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境内碑蹟めぐり

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小林寒林翠の碑

明治21年〈1888〉8月

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小林寒林翠は旧水戸藩の士族で、文化11年(1814)生。幅広い教養知識の人で、南画を良くした。第38世隆基大僧正の知を得て、寺境に寓した。翁の徳をたたえる碑面の題額は隆基大僧正、銘文は第39世隆健大僧正の書である。翁は、明治19年(1886)9月26日、74才で逝去。翁の墓は、平間寺墓域に西面し「松月院寒林翠士幹居士」とある。かつては大本坊内庭にあったが、平成29年(当山開創890年)に鶴の池畔に移設された。

2

三世桃隣の句碑

享和元年〈1801〉3月3日

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「人は皆去って声あり花に鳥」この碑は、三世桃隣を慕う門人達によって建碑された。因に一世桃隣は、芭蕉の弟子で、元禄7年(1684)5月8日郷里伊賀に向けて江戸を旅立つ芭蕉を川崎宿に見送った。その時芭蕉は、「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」と詠んで、人々に別れを告げた。元禄7年、芭蕉は難波で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」と辞世の句を残して没した。すると深川芭蕉庵の古池の傍にあった柳の大木が枯れてしまった。弟子たちは師を慕ってその木で翁の座像を造り、一世桃隣、二世桃隣、三世桃隣と伝えてきたという。

3

芭蕉翁句碑

明治21年〈1888〉

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碑に「ちちははのしきりに恋し雉の声」と刻む。「己れ生ある間は、子の身に代らんことを念い、己れ死に去りて後は、子の身を護らんことを願う」(父母恩重経)
高野山の静まり返った山中に立って、雉子の声を聞く。その一声、二声が杉木立ちにこだまして、その声に亡き父亡き母を思い出す。親が子を思い、子が親を慕う人の道は、父母恩重経の中にも説かれているところである。

4

虚子翁句碑

昭和34年〈1959〉5月14日

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「金色の涼しき法の光かな」
昭和33年、当山は戦災で失った諸堂伽藍の復興にめがけ大本堂がほぼその形を整えたので、御本尊を仮本堂からお移しする御遷座式を挙行した。この折、御遷座慶讃の諸法要、諸行事がとりおこなわれた。その一つとして記念の句会が盛大に開かれた。高浜虚子翁は、次女の星野立子先生(故人・俳誌「玉藻」元主宰)、山口笙堂師(故人・鹿野山神野寺山主)らをともなわれて出席された。新本堂に参拝された翁は、幾つかの句をしたためられた。その中の「金色の涼しき法の光かな」の句を、当山は翁にご揮毫願った。句碑の脇にたつ「句碑の由来」碑に、そのときの経緯が記されている。

5

施茶翁塚

天保6年〈1835〉

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碑は瓢(ふくべ)をかたどった面白いものである。
当時の江戸の医者、羽佐間宗玄は、俗世をのがれて芝愛宕町に閑居し、雅号を瓢仙と称し、つねにふくべを愛蔵し、人に抹茶をたてるのが楽しみで施茶翁、と称されたという。
「地獄いや極楽とても望みなし又、六道の辻で施茶翁」但し、塚といっても、供養されたものは、茶筅や、瓢などである。

6

正岡子規句碑

平成26年〈2014〉5月1日

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「朝霧の雫するなり大師堂」明治の俳聖・正岡子規(1867~1902)は明治27年(1894)11月3日に川崎大師を参詣され俳句を詠まれた。当山では平成26年の大開帳奉修を記念し、子規直筆の句集『寒山落木』より、当山に縁の句「朝霧の雫するなり大師堂」を建碑し、永く子規の足跡を記すものである。

7

大法要奉修記念之碑

平成6年〈1994〉3月21日

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碑面には、平成4年の真言宗中興の祖・興教大師850年御遠忌大法要修行と、その記念事業・大本坊大屋根銅板葺並びに改修工事。平成6年当山吉例十年目毎の大開帳(赤札授与修行)とその記念事業・清浄光院建立の趣旨が刻まれている。
碑は黒御影石で台座は葉桜御影石。

8

遊山慕仙詩碑

天保4年〈1833〉秋

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「山に遊んで仙を慕う詩」は、弘法大師が中国の何生と郭璞の「遊山詩」(文選第21)にちなんで作詩されたものといわれる。「高山に風起り易く、深海に水量り難し、空際は人の察することなし、法身のみ独り能く詳らかにす(以下略)」この詩は「性霊集」(詳しくは『遍照発揮性霊集』)の巻第一の、それも冒頭にのせられている。
碑には「天保四年秋七月、海若道人寺本永謹書」とある。かつては大本坊内庭にあったが、平成29年(当山開創890年)に鶴の池畔に移設された。

9

九橋の碑

天保4年〈1833〉

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天保の飢饉のころ川崎の民衆は、水田灌漑のためにあった二ヶ領用水の東下する所々に橋を架けていった。今の川崎区旭町から同大師駅前の若宮八幡宮のあたりに至るまでに、橋は九つ架けられていた。「東海道川崎より大師の御堂に詣る道の行手に、他力の浄財を集め九の橋を営架し侍りて、他力もて和多よる橋も九品の名に安ふ法そ尊し」(同碑銘文)ここで九橋が九品にたとえられたことは、この用水の一つ一つの橋が、極楽浄土にあるという蓮のうてなの、いわゆる九品の蓮台にみたてられたものであった。


 

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