真言宗智山派大本山金剛山金乗院平間寺 川崎大師

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境内碑蹟めぐり

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関東第一霊場碑

昭和43年〈1968〉9月21日

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現在の関東第一霊場碑は、二代目にあたる。初代は昭和7年(1932)秋、東京新聞の前身である都新聞社が企画した「関東十霊場推薦投票」において、川崎大師が二位以下を大きく引き離し第一位を得た記念として、同新聞社によって建立された。
昭和7年12月7日の同新聞紙面では、『第一位獲得の報に川崎全市湧き返る』の見出しでその時の様子が大きく報じられている。このことからも、当時既に川崎大師が厄除け大師として、関東一円の庶民信仰の代表的存在であったことが窺える。初代の碑は、昭和20年(1945)4月の戦禍により大きく破損したため、戦後に様々な補強、保護措置が講じられた。こうした時代を経て、昭和43年(1968)9月21日、都新聞の後身である東京新聞の得難い発願により、従前にもまして風格のある、高さ約5メートル50センチメートル、重量約8トンの現在の碑が、大本堂正面向かって左側の前庭に再建された。

2

天保四年本堂礎石

 

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旧本堂は天保5年(1834)弘法大師一千年御遠忌を記念して建立された。間口16間(28.8メートル)奥行18間(32.4メートル)高さ73尺(22メートル)総﨔造総銅甍葺の宏壮な建物であった。昭和20年4月15日、第二次世界大戦の戦禍を蒙り、諸堂とともに焼失した。礎石は全部で72個(大52個、小20個)、大きなものは四方が3尺1寸7分(150センチメートル)、厚さ1尺5寸(59センチメートル)ある。

3

宝篋印塔

宝暦6年〈1756〉3月21日

 

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宝篋印塔とは、宝篋印陀羅尼という経文を納めた供養塔、祈願塔のことである。形は石造りの基壇の上に基礎を置き、その上に四角形の塔身を安んじ、更に笠、相輪を重ねて最頂部には宝珠を載せている。
川崎大師の宝篋印塔も概ねこの形で、高さは3メートル76センチメートル、基壇最下層は1辺1メートル65センチメートル。宝暦6年(1756)3月21日、第29世・如實法印の代、徳川御三卿(徳川将軍家の支族・田安、一橋、清水の三家。尾張、紀州、水戸の徳川御三家に次ぐ家格)筆頭田安家の祖・田安宗武(8代将軍徳川吉宗の次男・1716~1771)が42歳の厄除け祈願のために寄進した由緒あるもの。寄進当初は、本堂正面に建立されたが、その後、安政大地震や関東大震災などによる倒壊や修築を経て、現在では八角五重塔と経蔵の間の植え込みに移設されている。この宝篋印塔は、田安家の川崎大師信仰を物語る貴重な記念であるだけでなく、田安家からの信仰の輪が徳川一門に拡がり、やがて徳川歴代将軍の川崎大師参詣の糸口となった意義深い記念塔でもある。

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いろは歌頌徳碑

大正5年〈1916〉

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弘法大師空海上人の作・いろは歌47文字を刻む。書は雲照律師(文政10年〈1827〉~明治42年〈1909〉)の手になる。

5

木村新左衛門紀念碑

昭和5年〈1930〉秋

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第二次世界大戦で焼失した旧山門は明治35年(1902)に建立された。総欅造りの山門は規模といい彫刻といい関東第一と称される荘厳なものであった。碑には棟梁・木村新左衛門の偉業が刻まれている。現大山門二層には、旧山門の図面(杉板に墨で画かれた細密なもので正面と側面の各一面)が保存されている。これは、新左衛門の孫にあたる木村勇次郎家に伝えられたものである。

6

戦災復興之碑

昭和49年〈1974〉5月

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第二次世界大戦によって焦士と化した当山に復興の明かりを灯したのは第43世隆超大僧正であった。その意志を受け継ぎ復興の浄業を完遂されたのが中興第1世隆天大僧正である。昭和39年の大本堂並びに不動堂の再建に始まり、昭和45年に自動車交通安全祈祷殿、昭和49年には清瀧権現社が4月に落慶を迎えた。この碑はその年の5月に建てられた。

7

弘法大師一千御忌供養塔

文政3年〈1820〉

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真言宗宗祖弘法大師空海上人が承和2年(835)3月21日、御年62才で高野山・奥の院にご入定されてから天保5年(1834)は丁度一千年の御遠忌にあたり、それを記念して建碑された。発願主は米山松寿という人である。天保5年は、昭和20年の戦災で焼失した旧本堂の建てられた年で、この時の第35世隆盛法印は、米山松寿の意に添って13年も前に作善させたのである。この御遠忌供養塔は、170年の風雪にどっしりと耐えている。

8

道標(こうぼう大し江のみち)

寛文3年〈1663〉5月21日

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信仰と行楽を兼ねた川崎大師への参詣は、江戸時代から大いに盛んになった。とりわけ江戸からの参詣者のために、この石造りの道標が川崎宿下手の六郷川(多摩川)寄り入口付近に建てられた。往時の参詣者は六郷川を船で渡り、この道標に従って大師道へ進み川崎大師を目指した。
道標の大きさは、高さ173センチメートル、幅51センチメートル、厚さ49センチメートル。戦後、多摩川の道路改修に伴い現在の川崎大師境内に移設された。この道標は、川崎市内では最古のもので、歴史的にも川崎宿を代表する貴重な記念物であることから、昭和63年(1988)に川崎市重要歴史記念物に指定された。


 

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