境内碑蹟めぐり

境内マップ

1 まり塚

昭和26年〈1951〉11月

東京太神楽曲芸協会によって建碑されたもので、曲芸に使われたまり等の道具を供養する。毎年5月21日には年祭がおこなわれる。碑の裏面には太神楽の由来が記されている。

2 佛供田記念碑

昭和9年〈1934〉3月

佛供田は仏に供える米を収穫する田である。霊名講報恩會が当山に佛供田を奉納した記念に建てられた。裏面には発起人が記されている。題字は第43世隆超僧正によるもの。

3 有明喜竹翁の碑

天保5年〈1834〉

「ありあけておきたる時のお念仏これを路銀にみだの浄土へ」
天保年間に建立された旧本堂(昭和20年の戦災で焼失)建立の際尽力した有明氏、芦田氏、そして髙野氏の3名が知られているが、この碑はその内の有明氏の歌碑である。

4 松風亭の碑

天保5年〈1834〉3月

天保5年に建立された旧本堂(昭和20年大空襲によって焼失)に格別の功あった人として有明重次郎氏、芦田与八氏、髙野武兵衛氏の3人が知られている。前の二者は世話人で多額の浄財寄進者、髙野氏は川越の棟梁であった。本堂が完成すると、隆盛和上は、古堂の浄木を彫刻した大師尊像を与え、3名の労をねぎらったのである。
この碑は、芦田氏の一首でかざられている。「いたずらに六十余年過しては今も我身の非を知らぬ顔」 かつては大本坊内庭にあったが、平成29年(当山開創890年)に八角五重塔近くに移設された。

5 いろは碑

明治45年〈1912〉1月

いひ伝ふ言葉の種もいろはかな
「いろは歌頌徳碑」とともに、同じ趣旨のものが境内に2つもあるという事は、弘法大師に寄せる信仰の篤さを窺い知ることができる。

6 三界萬霊供養塔

大正9年〈1920〉8月

三界とは生死流転する迷いの世界を欲界・色界・無色界の三段階に分けたもの。この塔は、三界のあらゆるすべての精霊に対して供養することの大切さを示している。裏面には第41世隆運代と刻まれている。

7 五重塔建設資金の碑

昭和14年〈1939〉4月11日

厄除祈願会は、大正14年(1925)、宮川政吉、石渡定右衛門の両氏が発起人となって、当時42才の厄年の人々が相集まって結成された。昭和14年、創立15周年を迎えた祈願会は、百万人講の結成を目指して五重塔建立への協力を惜しまず、多額の浄財をあつめた。
やがて戦争の激化により、厄除祈願会は五重塔建設資金参千円を国に献金。ついに戦前、五重塔は実現しなかった。

8 高野山万燈会の願文の碑

明治42年〈1909〉9月21日

碑の正面に「大日遍照法界智鏡高鑒霊臺」(大日遍く法界を照らし、智鏡高く霊臺を鑒みる)と刻まれている。
真言教主大日如来の万徳をたたえ、宗祖弘法大師空海上人が、「高野山万燈会の願文」にしるされたお言葉の一説である。この万燈会は、天長9年(832)8月22日、宗祖弘法大師によって高野山上に修された。碑面の書は第39世隆健大僧正が80歳の時に揮毫された。

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