境内碑蹟めぐり

境内マップ

1 寺号碑(寺標)

昭和58年〈1983〉11月21日

昭和59年は、弘法大師空海上人の1150年御遠忌の年であり、また当山十年毎のお開帳の法要の佳年でもあった。その尊い法縁を機に、株式会社大林組社長・大林芳郎氏によって奉納されたものである。全高6.2メートル、白御影石の堂々たる風格である。

2 石観音道しるべ

貞享元年〈1684〉7月18日

寛文5年(1665)に、天台宗明長寺の僧弁融が、遠藤野(現在の川崎市川崎区観音のあたり)に石観音を祀る一宇を建立した。
道しるべは、当山から石観音へ通じる大山門脇に建碑されている。石観音境内には霊亀石とよばれる手洗石、また、俳人花鳥庵梅動が、心願こめて一昼夜で一万句を詠んだ記念として建碑した独吟万句詠草塚がある。

3 纒魂碑

昭和48年〈1973〉5月

まといは火消しの魂といえるものである。
この碑は昭和48年の川崎古式消防纒保存会20周年を記念して建てられた。正面の書「纒魂碑」は第44世隆天貫首の筆になるもので、深々と刻まれている。

4 海苔養殖紀功の碑

大正9年〈1920〉9月

海苔養殖紀功之碑は、海苔養殖50年を記念して、大正9年に建碑された。かつて川崎大師周辺の海域(大師沖)では、清流で知られた多摩川の河口という立地条件もあり、明治4年(1871)より海苔の養殖が始められ、数ある大師名物のなかでも乾海苔の大師海苔が土産品として販売され、声価が高く全国にも出荷されていたほどであった。2万坪の面積から始められた海苔養殖は、大正9年には17万余坪に達するまでになった。しかし、戦後の変遷と共に沿岸の工場による汚染水の流水や流油による被害が増大し、海苔養殖に与える影響が深刻となってきた。そして昭和47年(1972)、川崎臨海部の埋立事業計画に伴い海苔養殖は百有余年続いたその歴史に終わりを告げることとなった。
その後昭和61年(1986)に、海苔養殖に専念した川崎漁業協同組合が解散となり、川崎大師にて海苔供養祭が執り行なわれた。川崎漁業協同組合の功績を後世に伝えるため、海苔供養祭の記念として副碑が建立され、大師海苔養殖の歴史と功績を後世に伝えている。

5 御遠忌供養塔

昭和59年〈1984〉3月14日

弘法大師1150年御遠忌記念建立。大山門を入ってすぐ左側土塀際に、第43世隆超大僧正遺愛の枯山水・静嘉堂石庭が見事に復元されている。その一番山門に近い所に建てられたのが、この供養塔である。書は第44世隆天貫首の筆になるものである。

6 入江相政氏歌碑

昭和61年〈1986〉9月21日

「わがこころすはるるごとしいつの日も風信帖の一字一字に」大山門脇の静嘉堂石庭の一隅に建立されたこの歌碑は、当山と法縁の深かった入江相政氏(昭和天皇の侍従長)が、昭和59年の宗祖弘法大師1150年御遠忌に来詣の折、献歌された御歌を刻んだものである。 「風信帖」とは、空海上人から最澄・伝教大師にあてられたもので、「風信雲書、天より翔臨す」に始まるこの手紙は、現存する空海上人(弘法大師)の自筆の中での白眉と称されている。

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